英語と私(2)

  • 2009.11.17 Tuesday
  • 10:49
By冨永正之

1966年に大学を卒業し東洋郵船という会社に入社しました。この会社は後に大火災を出して社会問題となったホテルニュージャパンの横井氏が社長をしていた会社で、雰囲気があまりにも良くなかったため2日で辞めてしまいます。大学の求人掲示板に載っていた2〜3の高校に行ってみましたが、すでに他の人が採用されていました。思案に暮れていたところ、米軍が英語の勉強に最適だと思いつき、座間キャンプの憲兵隊にクラーク・タイピストとして就職しました。

 

米軍ではアフターファイブや週末にサービスクラブへの出入りを再び許可してもらい、兵隊相手に英会話の練習を続けました。おかげでスラングや卑語・俗語をかなり覚え、耳も少しは良くなったと思います。一年近く米軍で働いた後、父の知人の計らいで日本航空機製造という半官半民の会社に転職します。ここは日本初の国産航空機YS-11を販売していた会社で、英語が多少出来るということで国際営業課に配属され、何度か通訳もさせられました。

 

この頃日米会話学院で開講して間もない同時通訳科を受講しましたが、自分には通訳の素質がないと判断し数ヶ月で止めてしまいます。会社でさせられた通訳に関しては、実力もなく航空機関連の専門用語も知らなかったため、嫌な思い出しか残っていません。さらに自分は営業に全く不向きであったため毎日が苦痛になり一年半程でこの会社も辞め、また米軍に舞い戻りました。

 

先ず相模大野にあった米軍病院でクラーク・タイピストとして数ヶ月勤めたあと、内部の欠員募集に応募して座間キャンプの対諜報活動部で数ヶ月翻訳の仕事をし、さらに内部募集に応募してコミュニティ・リレーション関係の仕事に就き数回通訳も行いました。しかし米軍に再就職してから約一年半後に整理の対象になり失職してしまいます。再就職先を考えていた折、新聞に米国大使館が米軍を整理された人たちの再就職を支援し始めたという記事が出ていたので、大使館の人事課に問い合わせてみました。

 

人事課の担当者は、確かにそのような支援をしているが、現在米大使館の広報活動をしている部局に空席があるので応募してみてはどうかと勧めてくれました。そこで筆記試験と面接試験を受け幸い採用してもらえました。

 

次回は米国大使館での経験についてです。

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

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