英語と私(1)

  • 2009.11.04 Wednesday
  • 09:00
By冨永正之
以下数回に亘り私と英語との関わりを正直に綴ってみたいと思います。私のようなものでもまがりなりにも通訳ができるようになったということを知っていただいて、皆さんの励みになればと思い、恥を忍んで半生記的なものを書いてみることにした次第です。私の人生の大半はすでに忘却の彼方に行ってしまった感じで、思い出せないか、朧な記憶しかない部分が非常に多いのですが、出来るだけ再現してみたいと思います。

 

私の英語との最初の出会いは、大半の日本人のように中学入学の時でした。当時神奈川県ではアチーブメント・テスト(ア・テスト)を高校入学選抜の重要判定基準にしていました。私は英語が当時のア・テストに含まれていないことを知って、英語を勉強しなくても関係ないと浅はかにも決め込み、中学では全く英語を勉強せず、期末試験などは虎の巻の丸暗記で切り抜けていました。ですから英語は私の最も不得手な科目で、英語を全く知らずに中学を卒業してしまいました。

 

高校に入学した最初の英語の授業で先生が新入生の英語力を判定するためにテストを行ったのですが、私が余りにも出来なかったため、クラスで私一人が“こんなに出来なくては進級できないぞ”とその先生から脅されました。小心者の私は、この脅しに震えて基礎英語の参考書を買い英語を一から勉強し始めました。

 

高校では好きでもないバレーボール部に入部させられてしまい、練習に明け暮れて、言い訳にはなりませんが勉強は殆どしませんでした。ただ最も出来なかった英語だけは先生に脅されたこともあり勉強を続けた結果、卒業時には英語が比較的点がとれそうな科目になっていました。しかし他の学科はまるきり出来なかったため受験を諦め一年浪人して英米文学科に入学しました。

 

英語を専攻したからには少しは英語が話せなければ恥ずかしいと考え、ESSに入部しました。それまで英語は文法や読解しか勉強したことが無く、英会話は全く出来ませんでした。そのためかESSの先輩たちの英語がいやに上手く聞こえて威圧されてしまい、強い劣等感に苛まれて部活にも積極的に参加しませんでした。それゆえ私の大学生活は、萎縮した孤独なもので、友達もガールフレンドもいない暗い4年間でした。ただ大学3年の時に英検一級を受験し、一回目は二次試験で不合格でしたが2回目の受験で合格したので、多少英語力はついていたのかもしれません。

 

大学在学中、近くの座間キャンプ内にあったサービスクラブへの出入りを許可してもらい、兵隊たちに話しかけて英会話の練習をしていました。また知人の紹介で米軍のスクェアーダンスクラブに入会して英語を話す機会を増やそうと努めたり、そこで知り合った米兵家族でハウスボーイをしたり、座間キャンプのゴルフ場でキャディーをしたりして、英語を話そうと努めました。

 

1960年代当時はビデオもCDDVDもなく、生の英語を聴くチャンスは米軍のラジオ放送であるFENと洋画くらいしかありませんでした。FENは良く聴いていましたし、一度に同じ映画を3回続けて観たこともありました。しかしなかなか英語がうまく話せるようにならず、絶えず悶々としていた記憶があります。

 

次回は大学卒業後の話をしてみます。

 

 

プロフィール

冨永正之 
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

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