「通訳現場見学」レポート

  • 2018.04.03 Tuesday
  • 15:42

サイマル・アカデミー東京校では、在籍生のみなさんに実際の通訳案件を知って日々の学習に活かしていただくことを目的に、通訳現場見学の機会を提供しています。

 

「プレス・ブリーフィングの逐次通訳現場」ということで、2018年3月29日に外国人記者向けに行われたプレス・ブリーフィングの様子をアカデミースタッフが見学してきました。

(協力:公益社団法人フォーリンプレスセンター様)

 

会場の様子down

 

このプレス・ブリーフィングは各国の外国人記者を対象に、毎回さまざまなテーマで行われています。

 

今回は「東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて」というテーマで、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長の武藤敏郎さんのお話。先月平昌オリンピック・パラリンピックが閉幕し、いよいよ次の大会としてバトンが引き継がれた「東京2020」がテーマということもあり、70名ほどの席がほぼ満席になる盛況ぶりでした。

 

東京2020の大会概要に始まり、現在の準備状況や取り組み、つい先日発表された大会ボランティアの話などの説明のあと、外国人記者から寄せられるさまざまな質問をスピーカーの横に座った通訳者が通訳していきます。今回の逐次通訳を担当したのは、サイマル専属通訳者の長井鞠子さんでした。

 

 


▼見学したスタッフの声▼

 

◎通訳現場で求められることを肌で感じることができる!

高い通訳スキルはもちろん、通訳者としての姿勢やその場の対応力(臨機応変さ)も、通訳者には求められることを目の当たりにしました。

 

◎高い通訳スキルのうえに「聞きやすさ」が求められることを身をもって体験!

ハッキリとした声や、聞きやすいテンポで通訳することは、通訳を聞いている側に安心感をもってもらうことができるのだと感じました。

 

◎どの国の英語訛りにも対応できなればいけない!

質問する記者たちはドイツ、シンガポール、フランスなど、見事に全員異なる国出身。どの訛りでも確実に聞き取り、訳すことができるスキルが必要なのだと感じました。

 

◎数字は間違えられない!

大会規模が大きいだけに、予算や経費、ボランティアの人数などの話では、万〜億単位の数字が飛び交っており、瞬時にさまざまな単位の数字を訳す能力の大切さを目の当たりにしました。

 

◎抑揚と表情でも伝える!

質問タイムでは、スピーカーから場を和ませるような発言も。通訳者は雰囲気を察し、語調を和らげたり、笑顔を見せたりしながら訳していました。単に言葉を訳すだけではない通訳の奥深さを発見しました。

 

◎アカデミーの授業内容は、現場で活躍する通訳者が実際にやっていることそのままだということを実感!

単語テストやひとつひとつの通訳訓練など日々の学習は、実はどれも現場で求められることを身につける訓練だというのを改めて感じました。

 

◎なにより、やはり第一線で活躍されている様子は刺激的!

今回は東京2020大会の内容でしたが、「通訳現場の臨場感」は、なによりの学びの場だと思いました。

 


 

通訳現場の空気感、緊張感を体験できる今回の機会は、普段サイマル・アカデミーで学んでいることが現場につながる内容だと実感していただけるチャンスになると思います。在籍生はコースを問わずご参加いただけますので、ご興味のある方はぜひ今後参加してみてください!

 

なお、会見の様子は公益社団法人フォーリンプレスセンターのホームページでもご覧いただけます!

http://fpcj.jp/worldnews/briefings/p=63489/

 

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嬉しい在籍生限定女

通訳現場見学 参加のご案内

 

サイマル・アカデミー在籍生を対象に、

今回ご紹介したような通訳現場見学を実施しています。

 

ご案内は校内掲示板に都度掲示していますので、

参加をご希望の方はサイマル・アカデミー受付でお申し込みください。

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同時通訳現場見学ツアーレポート

  • 2017.12.05 Tuesday
  • 18:47

サイマル・インターナショナル関西営業部は、20171030日、立命館大学衣笠キャンパスで行われた、立命館大学・韓国外国語大学共催 国際シンポジウム「北朝鮮の核開発をめぐる国際関係と政策的オルタナティブ -6か国協議の経験から-の同時通訳現場見学ツアーを実施、サイマル・アカデミー受講生6名が参加しました!

 

今回は関西ではなかなか扱われる機会の少ない難しい国際時事のテーマで、関西のトップ通訳者3名の同時通訳を間近で聞くことができる大変貴重な機会となりました。聴講者は学生から一般の方まで数百名にのぼり、日本人だけではなく海外の方も多く、非常に関心度のいシンポジウムでした。

 

事前説明


シンポジウム開始前、実際の簡易ブースを前に、同時通訳システムのことから通訳者の打ち合わせのことまで、通訳の一つの案件にまつわるありとあらゆることについて、担当から皆様にご説明させていただきました。アカデミーの中では体験できない、現場の臨場感を肌で感じていただけたかと思います。皆さんとても熱心にお話を聞かれいます。

 

  ↓簡易ブース、表から見るとこんな感じです! 

易ブース、表からはこんな感じ

←同時通訳簡易ブース横には、音声の機材がずらっと並んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞き耳を立てる参加者の声ー事前説明を終えてー見る

●想像していたよりはるかに多いエンジニアの方々がいらっしゃってびっくりしました。一つのセミナーに通訳関連だけでこれだけの人数がかかわっていることを実感できたのは初めてでした。音響の仕組みや赤外線の使用など、最新の設備に関するご説明も興味深く伺いました。

 

●貴重な経験をありがとうございます。サイマル担当者や音声技術の方々がきめ細かく支えてくださっている様子がわかりました。実際の機材や会場の様子、集合・打合せ・終了後の流れなど、現場の雰囲気を体感できて勉強になりました。

 

本番


参加者はその後、レシーバーを受取ってシンポジウムを聴講し、実際の同時通訳を聞いていかれました。今回は全て英→日同時。各スピーカーのスピーチに加え質疑応答もありました。内容もさることながら、英語ネイティブではない方も多いため、個性豊かな英語も多く聞かれました。何がきても動じず冷静に訳を続ける、プロの通訳者のお仕事を間近で見ることができました。

 

聞き耳を立てる参加者の声ーシンポジウムを終えてー見る

●すばらしい通訳に感嘆したのと同時に、自分の今いる場所を痛感させられました。

●特殊な専門分野の通訳を、遅れず適切に訳出されていること、そのパフォーマンスが会議全体を通して落ちないこと、長時間でも安定して聴きやすい発話など、まだまだ自分の勉強の道のりは長いと感じました。

●「どんなことがあっても動じない、それがAクラスです」という、信頼に満ちたご担当者の言葉が印象的でした。今回の企画では、通訳の入り口に立つ者に、目指すべき頂点を見せてくださったわけで、今後の勉強の仕方について考える素晴らしい機会となりました。

●交代はスムーズで、アイコンタクトを取り合っている様子が見えました。ブース越しに講演者をしっかり見ておられ、スピーカーの口調と息の合った通訳が聞き手の耳に優しいと感じました。

●自分であれば、詰まってしまったり、遅れたりすることは避けられないところが十数秒おきにあるなあという感想です。カバレッジを上げること、不明な箇所を聞いた通りに訳出して遅れずに乗り切ること(その他たくさん)を、今後のアウトプットの目標にしたいと思います。
 

女担当スタッフの声男

説明を熱心に聞かれる皆さんの姿勢が、とても印象的でした。生の現場を見聞することで、目指すゴールのイメージ化と更なる学習意欲の向上に繋がれば幸いです。ツアーにご参加いただいた方が、将来「プロ通訳者」の立場として現場でご一緒できる機会が来るのを、楽しみにしています。

 

●普段アカデミーでは、受講生ご自身のパフォーマンスに向き合いながら訓練を行っています。今回はプロの会議通訳者、しかも関西のトップクラスの方の生の通訳を聞く、大変貴重な機会となりました。それぞれが新たに目標や課題を見つけたり、モチベーションを上げる良い機会となったと思いますので、また気持ち新たに今後の訓練に励んでいただければと思います。

 

今回参加できなかった方も、また次の機会に是非ご参加ください!

 




 

宮城教育大附属中学校3年生が「通訳者の仕事」を体験

  • 2015.05.29 Friday
  • 10:07
被災地の子供たちに様々な職業を紹介するボランティアイベントの会場として、
サイマル・アカデミーの同時通訳教室を提供しました。

宮城教育大学附属中学校の総合学習の一環で行われた今回の「職業講話」。
さまざまな職業を知る機会として、「国際関係や英語」に興味のある生徒さん4名が来校されました。

通訳者5名の方が講師となり、通訳の仕事の種類、ビジネス通訳や舞台通訳などその業界ならではの通訳の魅力や、通訳という仕事のやりがいや苦労、面白さ等、多岐にわたってお話しされました。

生徒の皆さんは
「通訳者の人は英語に訳すとき、頭の中でどうやって訳していくのですか?」
「病院の通訳をするとき、専門用語はどうするのですか?」
「単語帳って自分で作っているんですか?」
と熱心に質問する場面も。

また同時通訳の実演として、司会進行役の方が中学生にインタビューをし、その音声を同時通訳して聞く、というパフォーマンスも行われました。
自分が話した言葉が、目の前で英語に訳されていく様子に皆さん興味津々。同時通訳ブースに通訳者と一緒に入って訳す様子を隣で見たり、レシーバーで通訳を聞く体験をしていただきました。

最後に「学校での英語の授業や受験勉強は、英語の基礎的な力になり、結果的に今の仕事につながっています。みなさんも英語の勉強頑張ってください」と通訳者の皆さんから生徒さんへエールを送られていました。(実施日:2015年5月18日)
 
DSCN3027.JPG
"通訳"とひと言で言っても仕事の種類はさまざま。
通訳の仕事の現場について熱心に聞いています。

DSCN3039.JPG
同級生のインタビューを同時通訳。
レシーバーからはインタビューの通訳音声が聞こえています。

DSCN3030.JPG
同時通訳ブースの中で通訳者体験中!
 
DSCN3044.JPG
みなさんお疲れ様でした!

英語と私(6)

  • 2010.01.19 Tuesday
  • 10:55
By冨永正之

サイマル・アカデミーと私の関わりは1997年4月から始まりました。アカデミーで教えてみないかと最初にお声をかけていただいたのは、当時サイマルの通訳者兼講師をしていたH氏で、当時の小松社長とお会いしてアカデミーでお世話になることになりました。通訳者としても教師としても未熟な私にこのような機会をあたえていただいたことに小松先生をはじめサイマルの皆様に深く感謝しております。

 

最初は通訳科だけでしたが、2002年の4月から同時通訳科も担当するようになり、今日に至っています。2004年までは大使館で勤務をしていたため、どうしても本業を優先せざるをえず、時には代講をお願いしてご迷惑をおかけしました。

 

サイマル・アカデミーの受講生は全体的にレベルが高く、真剣で意欲もあり、授業をしていてこちらも緊張感を覚えます。授業を通して出来るだけ多くのものを吸収していただきたいと願っていますが、何事も技能を身に付け向上するには不断の努力が必要です。是非自発的に練習を重ねていただきたいと思います。

 

通訳は実力の世界ですから何よりも力量が肝心であることは言うまでもありません。私は米国大使館職員だったため通訳業界の厳しい競争にさらされずにすみ、ひ弱な私にとって大使館は恵まれた環境だったと思います(アメリカの職場特有の厳しさはあったと思いますが)。しかし皆さんにとって通訳業界は厳しい競争の世界ですから、競争に負けない強さや積極性が必要でしょう。

 

ただ厳しい競争の世界ゆえか、通訳者は気が強く傲慢な人が多いという話を聞いたこともあります(私が一緒に通訳をさせていただいた通訳者からそのような印象は受けませんでしたが)。私にこのようなことを言う資格は全くありませんが、敢えて言わせていただければ、通訳の技術を磨くことに加えて、一人の人間として自分を磨いていただきたいと思います。

 

そして私は通訳者としても一人間としても重要な特質は、謙虚さだと思います。言葉にしても森羅万象にしても、知るべきこと、知り得ることに比べて、自分の知識は微々たる物に過ぎないという認識を持てば、人間は謙虚にならざるを得ないと思います。謙虚さがある限り傲慢にはなりえない筈です。傲慢な心から向上心は生まれませんし、逆に謙虚さは向上のバネになります。消極的になったり卑下したりせず、しかし謙虚な気持ちは常にもち続けることによって、通訳者としても一人間としても自分を磨いていただきたいと思います。これは自戒をこめての言葉です。

 

以上とりとめのない内容になってしまいましたが、少しでも皆さんにとって参考になることがあれば幸いです。皆さんの不断の努力が実を結ぶことを願っています。

 

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

英語と私(5)

  • 2010.01.05 Tuesday
  • 10:54
By冨永正之 

通訳は翻訳とは異なり瞬間芸ですので、当然完成度は低くなるのはしかたがないと思います。とはいって不正確でもしょうがないと開き直れということではありません。完全主義では神経が参ってしまいますからある程度不完全さを受け入れる鷹揚さが必要だろうということです。要は不完全といっても程度問題で、完璧ではなくても出来るだけ正確を期すよう最善を尽くすしかないと思います。

 

翻訳書の誤訳を扱った本を何冊か読みましが、舌鋒鋭い批評は痛快で面白い反面、多少違和感を覚えます。他人のあら捜しは簡単で、余り揚げ足をとったり、重箱の隅をつつくような批評はどうかと思います。しかし翻訳書には確かに相当ひどい誤訳もあるようす。通訳と比べて、翻訳は時間の余裕もあり、辞書や参考文献を調べ、訳文を推敲する余裕もあります。その翻訳でもかなり誤訳があるのですから、通訳、特に同時通訳で誤訳が生じるのはしかたがないといえるでしょう。以下に私の記憶に残っている恥ずかしい誤訳をあげてみます。

 

日本語に多い同音異義語の取り違え ― 転向を天候と混同; 性交を成功と混同; 

 

同音ではないが音が似ているための取り違え ― 銃社会を自由社会と聞き違え

 

アメリカ人講師が、Communism is “バックシャン、といったのですが、“バックシャン”という日本語がわからず、聞き直してしまった。

 

同時通訳を始めたばかりの頃、講師が “A camera does not lie.”と言ったのですが、どう血迷ったのか「カメラは横たわらない」と訳してしまいました。気がついたのですが同時通訳だったので後の祭りでした。またマンスフィールド大使が就任後初の記者会見で開口一番、”I am the new kid on the block.  Shoot.”と発言しました。当時すでにかなり高齢だった大使が、kidと言われたのに面食らい、そのコントラストを訳出しようとして一瞬絶句し、「私は自分をまだ小僧だと思っているのですが質問をしてください」というようなことを言ってしまい、翌週のタイム誌にそれが載ってしまいました。「私が新任大使です。質問をしてください。」とでも訳しておけば無難だったのでしょうが。

 

以上は氷山のほんの一角で、実際には通訳をする度に、大小の間違いを無数にしてきたと思います。しかし不思議なもので思い出せません。嫌なこと、辛いこと、恥ずかしいことは忘れてしまうというのが人間の自己防衛策なのかもしれません。すべての嫌な記憶を引きずって生きていくのは苦しいですから。

 

2004年8月に定年を迎え、34年に亘る米国大使館でのご奉公をなんとか無事に終えることができました。英語圏での留学や生活をしたことのない私が、曲がりなりにも通訳者として米国大使館で定年まで勤められたのは不思議な気がします。周りの方々のご支援、ご指導、また寛容さの賜物だったと感謝しています。

 

2004年8月に米国大使館を退職してからの英語との関わりですが、地元の市立図書館に若干洋書が備えてあることを知り、時間の許す限りほぼ毎日図書館で英語の本(主にフィクション)を読んできました。ジャンルを問わぬ乱読ですが、週に1〜2冊のペースでこれまでに360冊ほど読みました。また2008年春から家の近くのTSUTAYAで主にアメリカのテレビドラマや映画のDVDを借り始め、これまでに400本ほど観ています。読書をしていてもDVDを観賞していても、自分の英語力の貧弱さを絶えず痛感している今日この頃です。

 

次回は最終回で、サイマル・アカデミーとの関わり、通訳者を目指す皆様への私の願いなどを書いてみます。

 

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

英語と私(4)

  • 2009.12.15 Tuesday
  • 10:52
By冨永正之 

米国大使館時代の英語勉強方法としては、先ず大使館奉職後すぐタイム誌を定期購読し始めました。最初にタイムを読んでみて、自分は本当の意味で英語を読めていないのだと感じ、できるだけタイムを精読し、時にはcover-to-cover読むこともありました。これは語彙の増強に役立ち、読解力の強化につながったと思います。私の上司はタイムをすらすら読めれば通訳はできる筈だと考えていたようで、確かに当たっている面もありそうです。

 

学生時代は英語を専攻していながら町の英会話学校に通うのは全く無駄なことだと考えていました。しかし卒業しても思うように英語が話せない自分に苛立ち、幾つかの英会話学校に通いました。最初2〜3の小さな学校に行ったのですがあまり効果がなかったようで長続きしませんでした。1986年から1992年までASAという英会話学校に通いましたが、91年頃から経営不振に陥ったようで悪い噂が流れ始め、生徒も減っていきました。私も1991年暮れにNOVAに入学します。NOVAは9段階のレベルがありレベル1が最高でネイティブ並みの英語力といううたい文句になっていました。

 

私はレベル3からスタートし(NOVAの当時の方針ではレベル2からはスタートできないと先生に言われました)、数週間でレベル2になりました。入学後3〜4年の頃だったと思いますが、レベル1があるからにはレベルアップの試験を受けてみたいと思い受験を申し込みました。しかしスタッフの話では、それまでレベル1を受験した生徒はおらず、ゆえに試験問題もないので受験できないとの答えでした。でも諦めずに粘った結果受験させてもらい幸い合格しました。NOVAの話ではレベル1の生徒は私が初めてで、NOVAの生徒数は最盛期で全国50万人ほどいたようでしたが、NOVAが2007年秋に倒産するまでレベル1の生徒は全国で私一人だったようです。

 

NOVAのうたい文句ではレベル1はネイティブ並みの英語力といっても、自分では相変わらず英語の下手さに悩み続け、現在でもその気持ちは変わりません。NOVAを含めた英会話学校での私の経験がどれほど英会話力の向上に繋がったのかは私自身よくわかりません。英会話学校に通っている同時通訳者などほぼ皆無だと思いますが、私の場合、効果の有無に関わらず、とにかく努力しているのだという自分に対する慰めだったような気がします。

 

米国大使館での通訳は先にも言ったように広範なテーマに関する講演会、セミナー、シンポジウム、及び記者会見、ブリーフィングなどが主なもので、年に平均120〜140回ほど通訳をしていたと思います。アメリカン・センターという大使館の出先機関が札幌、東京、名古屋、京都(後に閉館)、大阪、福岡、那覇にあり、講演会、セミナーなどを主催していましたので出張が多く、実働日数の約半分は地方回りをしていました。当然講師であるアメリカ人と旅をすることになり、通訳以外でも彼らと話をする機会は日常的にありました。

 

初めの頃は逐次通訳の割合が多かったと思いますが、1980年代から同時通訳が増え、同時7割、逐次3割位だったようです。1970年代頃はテレビでの小松先生などの同時通訳を録音し何度も聞いて口調を真似てみた記憶があります。真似て技術をすぐ盗めるものではありませんが、優れた通訳者の通訳をよく聞き、手本にして、真似をしてみるのは上達のひとつの方法ではないかと思います。

 

また大使館に入ったころからやっていることですが、一人でいる時よく頭の中で英語で考えたり、夢想したり、一人ディベイトしたりしています。声に出さなくても英語のアウトプットの一助になると思います。

 

次回は、通訳と翻訳の比較、私の失敗例、大使館退職後の英語との関わりなどについて書いてみたいと思います。

 

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

英語と私(3)

  • 2009.12.01 Tuesday
  • 10:51
By冨永正之

こうして1970年、27歳の時に在日米国大使館に奉職します。部署はUS Information ServiceUSIS)という米政府の独立機関(現在は国務省に統合されています)で、大使館では広報・文化交流局という名称を使っていました。ここは日本のメディアに対するサービス、講演会、セミナー、シンポジウムなどの広報・啓蒙活動、人物交流などを行っており、私が採用されたポジションはプログラム・サービス部の翻訳・通訳職というものでした。

 

当時の直属の上司は、バイリンガルの日系二世で、米政府で働く前はサンフランシスコで日系人向けの邦字の新聞記者をしていた方でした。それまでたいした通訳の経験がなかった私は、最初翻訳の仕事をさせられました。ここでの主たる業務は、米大統領の一般教書、演説、声明、記者会見、その他政府の発表や文書などを即座に翻訳して日本の新聞社に配給して使ってもらうというものでした。

 

ここで私は2人のベテラン翻訳家と共に翻訳の仕事を始めます。それまで本格的に翻訳をした経験がなかった私は、上司や2人の先輩の指導で正確に英語を読み取り精密な翻訳をする習慣を叩き込まれました。ここでの翻訳は多少直訳的ではありましたが、あくまでも細大漏らさず正確に訳すというスタイルで、この翻訳の経験が私の通訳のスタイルの基礎になり大きな影響を及ぼしたと思います。ですから私は翻訳と通訳は同根で、相乗効果が大きいと考えています。

 

翻訳を1年ほど行ったあと、上司の勧めで通訳を始めるようになります。当時米国大使館には、アポロ月面着陸のテレビ中継同時通訳で全国的に知られるようになった西山千氏がまだ働いておられ、同氏から通訳の手ほどきを受けました。1972年頃だと思いますが、多くの英語関連の著作のあるM氏が私と同じポジションに採用され、私たち2人は西山氏に鍛えられました。M氏は1年ほどで大使館を辞められました。

 

USISでの通訳は、アメリカの専門家を講師とする講演討論会、セミナーなどが主で、テーマは政治、経済、貿易、金融、国際関係、軍事、安全保障、社会問題、芸術、文学など多岐にわたり、内容はかなり高度で専門的なものでした。1971年頃から翻訳から通訳の仕事に移行していったのですが、最初は逐次通訳だけをさせられ、2年目頃から徐々に同時通訳もさせられるようになります。

 

最初に逐次通訳をした時は緊張のため舌がもつれてよく話せなかったのを覚えています。日系二世の上司は最初数回私の通訳を傍聴し、なぜか合格点を与えてくれたようで、通訳の仕事が増えていきました。この上司はなかなか厳しい方で、1970年代に私と同じ通訳職のポジションに4〜5人の方が採用されましたが、皆1年前後で辞めていかれました。

 

同時通訳を始めた頃は、私の英語が余りにも未熟であったため、英日だけを担当していましたが、次第に日英もするようになります。同時通訳に慣れるまでどれほどの期間がかかったのかよく覚えていませんが(最後まで慣れなかったと言ったほうが正確かもしれません)、最初の1〜2年は悪戦苦闘の連続だったと思います。何度も絶望し止めようと考えました。しかしそれまでの仕事が全て長続きしなかったため、大使館の仕事も途中で投げ出してしまえば自分は何も最後までやり遂げられない人間になってしまうのではないかという不安と恐れが強かったためか、なんとか止めずに定年まで勤め上げることができました。

 

次回は米国大使館時代の私の英語勉強について書いてみます。

 

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

英語と私(2)

  • 2009.11.17 Tuesday
  • 10:49
By冨永正之

1966年に大学を卒業し東洋郵船という会社に入社しました。この会社は後に大火災を出して社会問題となったホテルニュージャパンの横井氏が社長をしていた会社で、雰囲気があまりにも良くなかったため2日で辞めてしまいます。大学の求人掲示板に載っていた2〜3の高校に行ってみましたが、すでに他の人が採用されていました。思案に暮れていたところ、米軍が英語の勉強に最適だと思いつき、座間キャンプの憲兵隊にクラーク・タイピストとして就職しました。

 

米軍ではアフターファイブや週末にサービスクラブへの出入りを再び許可してもらい、兵隊相手に英会話の練習を続けました。おかげでスラングや卑語・俗語をかなり覚え、耳も少しは良くなったと思います。一年近く米軍で働いた後、父の知人の計らいで日本航空機製造という半官半民の会社に転職します。ここは日本初の国産航空機YS-11を販売していた会社で、英語が多少出来るということで国際営業課に配属され、何度か通訳もさせられました。

 

この頃日米会話学院で開講して間もない同時通訳科を受講しましたが、自分には通訳の素質がないと判断し数ヶ月で止めてしまいます。会社でさせられた通訳に関しては、実力もなく航空機関連の専門用語も知らなかったため、嫌な思い出しか残っていません。さらに自分は営業に全く不向きであったため毎日が苦痛になり一年半程でこの会社も辞め、また米軍に舞い戻りました。

 

先ず相模大野にあった米軍病院でクラーク・タイピストとして数ヶ月勤めたあと、内部の欠員募集に応募して座間キャンプの対諜報活動部で数ヶ月翻訳の仕事をし、さらに内部募集に応募してコミュニティ・リレーション関係の仕事に就き数回通訳も行いました。しかし米軍に再就職してから約一年半後に整理の対象になり失職してしまいます。再就職先を考えていた折、新聞に米国大使館が米軍を整理された人たちの再就職を支援し始めたという記事が出ていたので、大使館の人事課に問い合わせてみました。

 

人事課の担当者は、確かにそのような支援をしているが、現在米大使館の広報活動をしている部局に空席があるので応募してみてはどうかと勧めてくれました。そこで筆記試験と面接試験を受け幸い採用してもらえました。

 

次回は米国大使館での経験についてです。

 

プロフィール

冨永正之
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

英語と私(1)

  • 2009.11.04 Wednesday
  • 09:00
By冨永正之
以下数回に亘り私と英語との関わりを正直に綴ってみたいと思います。私のようなものでもまがりなりにも通訳ができるようになったということを知っていただいて、皆さんの励みになればと思い、恥を忍んで半生記的なものを書いてみることにした次第です。私の人生の大半はすでに忘却の彼方に行ってしまった感じで、思い出せないか、朧な記憶しかない部分が非常に多いのですが、出来るだけ再現してみたいと思います。

 

私の英語との最初の出会いは、大半の日本人のように中学入学の時でした。当時神奈川県ではアチーブメント・テスト(ア・テスト)を高校入学選抜の重要判定基準にしていました。私は英語が当時のア・テストに含まれていないことを知って、英語を勉強しなくても関係ないと浅はかにも決め込み、中学では全く英語を勉強せず、期末試験などは虎の巻の丸暗記で切り抜けていました。ですから英語は私の最も不得手な科目で、英語を全く知らずに中学を卒業してしまいました。

 

高校に入学した最初の英語の授業で先生が新入生の英語力を判定するためにテストを行ったのですが、私が余りにも出来なかったため、クラスで私一人が“こんなに出来なくては進級できないぞ”とその先生から脅されました。小心者の私は、この脅しに震えて基礎英語の参考書を買い英語を一から勉強し始めました。

 

高校では好きでもないバレーボール部に入部させられてしまい、練習に明け暮れて、言い訳にはなりませんが勉強は殆どしませんでした。ただ最も出来なかった英語だけは先生に脅されたこともあり勉強を続けた結果、卒業時には英語が比較的点がとれそうな科目になっていました。しかし他の学科はまるきり出来なかったため受験を諦め一年浪人して英米文学科に入学しました。

 

英語を専攻したからには少しは英語が話せなければ恥ずかしいと考え、ESSに入部しました。それまで英語は文法や読解しか勉強したことが無く、英会話は全く出来ませんでした。そのためかESSの先輩たちの英語がいやに上手く聞こえて威圧されてしまい、強い劣等感に苛まれて部活にも積極的に参加しませんでした。それゆえ私の大学生活は、萎縮した孤独なもので、友達もガールフレンドもいない暗い4年間でした。ただ大学3年の時に英検一級を受験し、一回目は二次試験で不合格でしたが2回目の受験で合格したので、多少英語力はついていたのかもしれません。

 

大学在学中、近くの座間キャンプ内にあったサービスクラブへの出入りを許可してもらい、兵隊たちに話しかけて英会話の練習をしていました。また知人の紹介で米軍のスクェアーダンスクラブに入会して英語を話す機会を増やそうと努めたり、そこで知り合った米兵家族でハウスボーイをしたり、座間キャンプのゴルフ場でキャディーをしたりして、英語を話そうと努めました。

 

1960年代当時はビデオもCDDVDもなく、生の英語を聴くチャンスは米軍のラジオ放送であるFENと洋画くらいしかありませんでした。FENは良く聴いていましたし、一度に同じ映画を3回続けて観たこともありました。しかしなかなか英語がうまく話せるようにならず、絶えず悶々としていた記憶があります。

 

次回は大学卒業後の話をしてみます。

 

 

プロフィール

冨永正之 
1997年よりサイマル・アカデミー通訳者養成コース・同時通訳科講師

青山学院大学英米文学科卒業。在日米陸軍司令部、日本航空機製造で勤務後、1970年から2004年まで在日米国大使館広報・文化交流局で通訳官として勤務し、米政府高官、駐日米国大使の通訳や、民間の専門家を招いてのセミナー、講演会などの通訳を務める。

通じた喜びを思い出す

  • 2009.09.18 Friday
  • 10:37
 

By宮元友之

サイマル・アカデミー、とりわけ通訳者養成コースに通っている皆さんの外国語運用能力は、総じてかなりのレベルにあると思います。さて、外国語の勉強が一番楽しいのは、習った言語を初めて使って意思が通じた初学者の頃でしょう。ところが、この「通じて嬉しい!」という気持ち、自分の外国語能力が上がるにつれて、なぜか忘れてしまうものではないでしょうか。

これは考えれば当然のことで、鉄棒で逆上がりが初めてできた瞬間の喜び、自転車を補助輪なしで乗れたときの達成感といったものは、できることが当たり前になってしまえば、初めの感動は過去の記憶の奥深くへとしまい込まれてしまいます。逆に、さらに学習が進むと能力の向上は停滞し、乗り越えられない壁のようなものにつきあたると、もうこれ以上はいいやと思ってしまったり・・・。現状に満足する心と伸び悩みの狭間でモチベーションが低下してしまうのは、語学学習に限らず見られる現象なのかもしれません。

そこで、何が必要なのでしょうか。やはり、通じて嬉しい!という最初の喜び、つまり「できなかったことができるようになる感動」を自分で創りだしていく工夫なのではないかと思うのです。その意味で、語学学習や通訳学習は、創造的であり、能動的であるべきでしょう。

私自身も含めて、殆ど全ての外国語学習者、通訳者は発展途上人だと思います。もう一度、自分の目指すところを確認する。目標と対策を考え、創意工夫して実行に移していく。こうしてできなかったことが、一つ一つ喜びを伴ってできるようになるプロセスを創りだすことこそ、本当の意味で「学習」と呼ぶのではないでしょうか。自戒もこめて、「初めて通じた喜び」を忘れないようにしたいものです。

 

 

宮元友之  サイマル・アカデミー 大阪校通訳コース講師

立命館大学国際関係学部卒業。Temple University  Master of Science in Education修了。

外資系企業にて国際ビジネスに携わった後、フリーの会議通訳者・大学講師に。

「楽しく・厳しく」をモットーに、第二言語習得論の知見を取り入れた授業を展開中。

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