私の仕事デビューVol.15 初めてのリレー通訳(後編)

  • 2012.07.10 Tuesday
  • 12:01

サイマル・アカデミー講師陣の仕事デビュー談を紹介するシリーズです。

今回は、陳先生のエッセイ 『初めてのリレー通訳』 の後編をお届けします!
前編はこちらをご覧ください。


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紫陽花が綺麗に咲いているこの頃、皆さんお元気ですか。時は巡りカラツユの夏(少なくとも感覚的に?)がまたやって来た、この前からは何年ぶりだったでしょうか。20数年も日本にいれば季節の趣に敏感になるもの。春は桜が早く咲いた一年であったかと思えば、次の年の夏は雨ばかりで涼しかった、ある年の秋は台風が集中して紅葉が遅れた、ある年はよく雪降る冬だった、などといったように特徴のある四季は数年おき交互にやってくるように感じます。そういった季節感は進学や転居など人生のイベントと重なり、その時々の日中関係をめぐる世相の変化や仕事のトレンドとも一体になって思い出されることが多く、時の速さを一層感じたりもします。

前回は、初めての日英中のリレー通訳の体験を途中まで書きました。会議本番、私が担当した基調講演の前半ではどうしても「shou xiang」と訳したというところでした。大げさではなく私の中で葛藤がありました。基調講演前半の担当は名高い英語通訳者で、格調が高く円熟な訳でした、そして「シュショウ」と発音したときのなんと揺るぎのないこと!あえて言えばそれが訳語選択の一瞬のためらいを招いたのでしょうか。


しかし、思えば私はたっての要望だから承知したものの、頭の隅には理屈としてこう訳すべきだという認識もあってその狭間で揺れていました。結局、(これは今だから言えるのですが、)先方の意に添うことに対する理解が表面的だった、気持ちのゆとりたるものもなかったということです。

もっとも、厳格な用語の使い分け、正確さに細心な注意が求められる性質の仕事はいざ知らず、この例の場合はどちらでもよかったのです。今となれば、さりげなく折り合いをつけて、言われたとおりの言葉の演出もできたりして、ちょっと格好をつけたパフォーマンスもできるようになりましたが、気配りや意識の持ちよう、その他もろもろが、仕事の出来栄えにつながると分かるまで、とみに不器用な私は経験の積み重ねが必要でした。
休憩のとき、A先生と冗談まじりで、秘書官の方が壇上で通訳レシーバーを通して傍聴していたので総理か首相かの訳語のチェックもしていたのかな、などと話し合いました。幸い訳語についての指摘もこちらの勝手な心配のようで、全体セッションは無事終了しました。

用語の件とは別ですが、気品に満ちた英日の訳を受けて中国語訳をするこの初めてのリレー案件、出だしの所では苦戦しました。英語の資料を予習した段階の自分のイメージとはずいぶん違いました。ベテラン英語通訳者の日本語は日常語とかけ離れているところが難しかったように覚えています。ちょうど英米文学の名作の中国語訳が洗練されている中国語であることが多いように、英語からの日本語も、格調の高い表現が多く、達人ともなればありきたりではなく、語順も原文から離れたり恣意的だったりします。そのことへの想定もなく突然な感じで戸惑いましたが、交替してからのA先生とB先生の落ち着いて清々しい中国語訳を聞いて目からうろこの思いでした。

実は一昨年、ある日英中の会議でおよそ13年ぶりに、かの名高い英語通訳の方の英日の訳を受けて同通する機会に恵まれ、会心と言ってよいほどスムーズに訳せて楽しい思いでした。あの頃の戸惑いはなんだったのかと札幌での会議のことがよみがえり、それ以来の歳月に思いを致さずにはいられませんでした。

リレーのことについて書いてきましたが、どのような形態の会議であれ、日⇔中の会議通訳の基本は同じです。理解する力と正確な表現力をひたすら目指すことだと思います。最近友人が、若いころに学んだ学問や知識、教養はその後の人生にとってとても大きな意味があると述べたことに共鳴しました。通訳の世界はどんな知識、どんな努力も意味がある世界、意図したかどうかにかかわらずです。ちょうど漢詩が言っているように「無心挿柳柳成蔭」*の境地、色々なアプローチがきっとあるのです。

 


サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師
陳羚 (ちんれい)

本名陳蘇黔(チンソケン)

会議通訳者。86年来日、91年文学修士号、95年博士課程修了。学業の傍ら通訳をはじめ、ニュースの放送分野では字幕から日本語ボイスオーバーに切り替わった91年の初日から携わる。サイマル・アカデミー通訳者養成コース ワークショップ(現 同時通訳科)を経て本格的に会議通訳の道に進み現在に至る。

 

*何気なく挿してみた柳の枝がいつの間にか蔭をさすほどの大きな柳の木に

私の仕事デビューVol.14 初めてのリレー通訳(前編)

  • 2011.08.29 Monday
  • 16:29


By陳蘇黔
矛盾する言い方ですが、記憶というのは、どうしても思い出せない曖昧さと、昨日のことのように鮮明に覚えている二つの部分が同居するものでしょうか。

アジア通貨危機から暫く経ったある秋も深まったころ、アジアの国々が危機対処の経験や課題を世界に発信するという国際会議が、札幌で開かれることになりました。恩師のA先生に声をかけられ、もう一人B大先輩(英語も堪能)と三人で臨みました。

最初の現場ではなかったものの、英語がキー言語でこれぞ国際会議だという雰囲気のカンファレンスだったため、駆け出しの私にとってデビューというに等しい、初めてづくしで思い出の仕事になりました。

事前の資料が非常に限られており(そのうち何点かは英文のみ)、不安でした。それこそ手当たり次第、芋づる式(?!)に背景知識を得ようとガムシャラに資料をかじっていたような…。札幌行きの飛行機で英語チームの通訳者に、(シーズン中世界を飛び回り、まだ東京の自宅に帰っていないと聞いて圧倒されつつ)、「ポートフォリオ」の意味を尋ねたことがなぜかいま、思い出されます。

ともあれ、会議前夜、会場に着いてすぐスピーカー同士のミーティングに入り、逐次通訳で対応し(雰囲気に呑まれまいと頑張り内心はドキドキだった)、その場で発言原稿を入手。東南アジア某首相が基調講演を行うわけですが、幸運なことに、代理でミーティングに出席した秘書官はなんと母語以外に英語も中国語もでき、快くA先生と私のために打ち合わせをすることに。後にコーディネータに聞いたところによれば、それはかなり長時間だったようです。その時、prime ministerを丁寧に「zongli」(総理)と訳して欲しい旨を穏やかな南なまりの中国語で話されていたことだけは今も鮮やかに記憶に残っています。

よりにもよってこのprime ministerをめぐって、私は仕事で初めてのダメ出しをされました。いよいよ当日、会議は淀みなく進行され、発言者の日本語、あるいは英→日通訳者の日本語訳を受けて中国語ブースの私たちが中国語に訳すという流れですが、途中、私の耳に日本語の「シュショウ」という音が飛び込んできました……。あの時、頭で分かっていてもなぜか急に迷った私がいました。「ここはやはりshouxiang(首相) と訳すべきではないか、zongli(総理)は自国の首相の敬称ではないか……」と様々な思いが駆け巡り、1〜2秒葛藤し、出た言葉はshouxiang(首相)でした。

A先生から「なぜ約束したように訳さなかったのか」とのメモが見せられ(その文字は今も目に焼き付いている)、あっと思いました。会議の後半、少し力を入れて、○○総理と訳したのは言うまでもありませんでした。(つづく)

 

 

サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師
陳蘇黔
84
年、上海の大学在学中、選抜で第一回日本語能力検定試験を受験、1級合格。86年来日、大学院で日本近代文学を専攻、91年文学修士。サイマル・アカデミー会議通訳者養成コース ワークショップクラス(現・通訳者養成コース 同時通訳科)で学びフリーランスに。89年よりNHKBSで放送通訳に携わり現在にいたる。

 

◆好きな格言:Every road leads to Rome → 条条道路通羅馬!

 Practice makes perfect  → 熟能生巧!

私の仕事デビューVol.13 Chapter

  • 2011.08.19 Friday
  • 16:45

By玉川睦生
人の記憶は、年と共に怪しくなるものだが、自分の中ではクランフィールド、と言う名前と共に、ライティングパッドを手にテーブルで通訳(?)をしている自分の姿がかなりはっきりと目に浮かぶ。

 

今から20年以上も前のことである。

通訳の「つ」の字も勉強したこともなく、生身の通訳者も見たことがない僕がどうして通訳「もどき」のことをするようになったのか。時計の針を大きく戻しながら記憶をたどってみたい。

 

「クランフィールド」 “CRANFIED”。Wikipediaで調べると、Londonから84kmのところにある、人口4909、Public house(いわゆるパブのことであるが)が3軒、の小さな大学町である。ここに日本からある視察団が来て、なにがしか技術的な意見交換の場を持った。大学に併設して工業団地があったように覚えているので、それに関係したような話だったのかもしれない。ただ、あまりテクニカルな話ではなかったとも思う。というのも、何か失敗した、とか訳せなくて困った、というような記憶の断片がないためだが、ただそういったものが記憶の底に埋もれていて、ただ単に出てきたくないだけかもしれないので、少し怪しいのは、怪しい。

 

その頃は、英国、ロンドンでの滞在も3年目か、4年目に入っており、「芝居」の学校(Acting School)に通っていた。演劇もよく見ていて、週に1本は見ていたと思う。周りの観客と同じところで笑っていたので、おそらく聞き取れていたのだろう。特にコメディーが好きで、同じ出し物を3回見たこともあった。タイトルは確か、“Tons of Money”。

 

生活環境にも恵まれていて、公共のUnderground Libraryというものがあるので、新聞を始めとする読み物には事欠かないし、ラジオも人からもらったゲルマニウムラジオでBBCはちゃんと入るし、「下宿」のフラットメートも、“Alien”登録証をもつ自分以外は、全員イギリス人。

 

もっとも、はじめの頃は、“Mutsuo”、 a gentleman, nice and quiet(能ある鷹はなんとかではなく、実は、単に、人の話についていけず、自分の意見が言えないだけだったのだが)ということで、言語的には、現地化には大変苦労していた。例えば、あるとき配管工(a plumber)からフラットの水道管関係で電話がかかってきたことがあって、ヒトコトも取れなかったことを覚えている。(一言も取れないのに、よく「配管関係」だとわかったね、といわれると元も子もないのだが。。。)

 

いやはやなんとも、継続は力、とはよくいったものだ。都合5年に渡った滞在期間中、Breakthroughは、突然やってきた。或る晩、夢の中で、なんと、当時の首相、Mrs. Thatcherと議論をしているのだ。確か、別の通訳案件で、日本の国会関係の使節団とご一緒させていただいたParliament訪問の後だったかと思う。(こういったところ、自分ながらとても単純である、と思う。)

 

5年の英国遊学(?)を終え、日本に帰国。ライセンスも何もなしにフリーの通訳者として生計を立て始めたのは、それから数カ月後のことだった。


サイマル・アカデミー 英語通訳者養成コース講師

玉川睦生

京都大学教育学部教育心理学科卒。中学英語教師。英国遊学。帰国後フリーランス通訳。その後、複数の業界で社内通訳。サイマルアカデミーは2004年に修了。

現在、フリーランスベースに戻り通訳&サイマルアカデミー通訳者養成コース講師。

私の仕事デビューVol.12 プロ意識を持ち、日々精進しよう

  • 2011.02.25 Friday
  • 11:28
By四方美智子 

私は日本で生まれましたが、青少年期は中国で過ごし、1978年帰国当時は「ありがとう」さえすらすら言えませんでした。大手精密機器メーカーにすぐ就職できたものの職種はラインでの組立作業で、「中国語を生かして通訳になりたい」と必死に日本語の勉強に励みました。

 

転機は意外にも早く訪れ、入社2年目にそのメーカーは中国と貿易を開始、当時中国語のできる人は全社に私しかいなかったので、まだ日本語があやふやな私に白羽の矢が立ち、幸運にも中国語を生かせる業務に配置転換になったのです。最初は中国人ユーザーからの電話の対応・レターへの返信業務、中国へ出す広告・使用説明書などの翻訳業務と中国人訪問客のアテンドでしたが、1980年遂に中国広州市で単独展示説明会と技術セミナーを行うことになり、念願の通訳デビューを果たしました。

 

このデビューが概ね成功したのは、一に現場を見ながら技術者から設備や技術について説明を一度ならずと受け、内容をよく理解したこと。二に取引先の商社の方から訳語の教示を賜ったり、社内の別言語の通訳に心得を教わったり、そして辞書を調べながら専門用語の対訳表を作り、覚えたこと。このように事前にかなりの時間をかけて綿密に準備することができたからです。すなわち企業内通訳という環境に恵まれたからと思います。

 

ただこの恵まれた環境は私に甘えをも持たせました。身内ですし、外国育ちだからと、周りの方は私の稚拙な日本語にとても寛容です。重役も私の日本語レベルに落としてお話されます。私自身も「両言語とも上手に話すのは無理よ」と思い、低水準の現状に甘んじていました。

 

そのとき、ある中国投資説明会の会場で聞いたプロの通訳が私の目を覚ましてくれました。その通訳(後にサイマルの高橋ゆかり先生と知る)は日本語から中国語にも、中国語から日本語にも流暢、完璧に訳出され、「神業」と思うほどの出来栄えで、私にプロの通訳としてのあるべき姿勢と目標を示してくれたのです。

 

その目標を目指して30年ほどになりますが、一言感想を述べるならば、通訳という職業は、日々学び一生研鑽しなければないということです。それは大変なことではありますが、同時にまたそれを通してより質の高い人生を掴むことができると信じ日々精進したいと思います。

 

サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

四方美智子  

関西大学()外国語教育学研究科修士課程&文学研究科博士課程修了

大手精密機器メーカーで中国ビジネス・日中合弁プロジェクトなどに長年携わり、その後商社勤務を経て、フリーランスの通訳者に。現在中国語通訳に従事しながら大学の非常勤講師として中国語、中国文化と通訳実践科目を受け持つ。

私の仕事デビューVol.11 ステージフライト

  • 2011.02.22 Tuesday
  • 11:59
 

By内藤能

頭の中が真っ白に。「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながらスピーカーの話を聞いても、うまく主旨がつかめない。さらに、そのことに動じてメモがうまく取れない。通訳する声が上ずってくる。「アレ、こんなはずじゃ・・・」

 

多くの聴衆、マスコミの人たちを前に通訳する機会が増え始めたころ、「いつまでたってもあがり症の私は人前でしゃべる職業には不向き?」と悩んだこともありました。「人」の字を手のひらに書くおまじないや深呼吸をしてみても、「何を言い出すだろう、分からなかったら?うまく訳せなかったら?」ますます高まる不安と緊張感。

 

多くの人が聞いている、すべての目が集中する中、あがらないようにする対処法は人それぞれ、いろいろあると思います。私の場合、ある日気が付いたのです。しごく当たり前の事実−「誰でも緊張するのだ」。ステージ上で、私の目の前でしゃべっているスピーカー、大勢の人の前で話をすることに慣れている彼の原稿を持つ手がわずかに震えているのが見えたのです。「こんな方でも本当は緊張しているのだから、私なんぞが、しかも他人のしゃべる内容をその場で通訳するのだから、緊張するのが当たり前」と開き直れるようになりました。演説が得意な政治家、官僚、財界人、ジャーナリスト、舞台慣れした芸能人やアナウンサー、学者、誰でも本番前にはそれぞれ緊張した表情がふっとあらわれます、それを他の人に見せるかどうかは別として。私たち通訳者が緊張しないはずはないのだと考えることにしています。

 

もう一つは言うまでもなく、事前準備。クライアントについて、その会合についての背景知識を勉強し理解できていることが、不安をおさえるよりどころになります。この点では、長年、専属通訳者として、大阪府のことはよく分かっているという立場でやってこれたことはラッキーだったと思っています。

 

サイマル・アカデミー 英語通訳者養成コース講師

内藤能

神戸女学院大学文学部英米文学科・大学院文学部通訳コース卒業。サイマルアカデミー大阪校修了。日本航空大阪支店勤務、アメリカ生活の後、‘90国際花と緑の博覧会協会外事部通訳を経て、20年間大阪府の専属通訳者。サイマル大阪校通訳科講師。近畿大学非常勤講師(20114月から専任)。

私の仕事デビューVol.10 中国の白いカラス

  • 2010.09.01 Wednesday
  • 11:17

By加藤千鶴

深紅の絨毯、扇形に並べられた豪華なソファ。中央の額を背に主客それぞれの斜め後ろに構え、冷静沈着、滑らかに要人の言葉を訳す知的な面持ち。日中要人の会談映像のなかの通訳者たちの、その姿の何と格好良いことか、永い間憧れていたその風景の一部に私自身がなる日がついにやってきました。


とある地方自治体の首長率いる訪中団の随行通訳として、当時サイマルで学んでいた『式辞文例集』を丸暗記し満を持して臨んだ訪中初日の省長表敬訪問。写真等で見た通りの赤絨毯の広い部屋・ビロードのソファ・巨大な額、そして…、扇型の正面には、思いもかけないTVカメラの放列が…。


「予定外のことは言わないでくださいね〜」怯える私の懇願にも関わらず、場の晴れやかさに俄然張り切った首長は持ち前の大声量で見事なスピーチを朗々。マイクのない大部屋で私も声を張り上げて必死の思いでついていこうとしましたが、声は上ずりしどろもどろに。そして「日本では鵜飼の伝統があり…」え?ウカイ〜!電子辞書のない時代、知らない単語に出会ったらなすすべがありません。苦し紛れの私の口をついてでたのは「ウーという鳥が魚を釣る伝統があり…」私の頭の中で「鵜」と「カラス(中国語でウー)」が乱れ飛び、目まいがします。「カラスが魚を釣る?」中国側はザワザワ。(もうこの話題はやめて〜)私の悲痛な願いも空しく、首長続けて「貴国には珍しい白い鵜がいると聞きました。」お手上げです。いくら中国でも白いカラスがいるかと聞かれてハイという答えは期待すべくもないでしょう。その時、相手側の通訳が省長と私だけに聞こえる声で正しい訳語を囁いてくれなかったら、その会談(と私)はどうなっていたことか。


20
年も前の苦い思い出です。通訳という仕事のひりひりするような孤独感と、それだけに支えてくれる仲間がいることのありがたさが心に沁みた、私の赤絨毯デビューでした。

 

サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

加藤千鶴

広島大学文学部卒。大手流通業に在職中の1984年よりサイマル・アカデミーで学び、商社・上海のコンサルタント会社等の勤務を経てフリーランスに。

私の仕事デビューVol.9 あこがれの同時通訳

  • 2010.08.20 Friday
  • 10:51
 

By今井温子

私が初めて同時通訳の仕事をしたのは、会議通訳者としてデビューしてからちょうど1ヶ月後、国際研修の現場でした。デビューする前に社内通訳として逐次通訳は多少経験していましたが、ブースでの同時通訳は全くの初心者。エージェントから送られてきた大量の資料と格闘し、嬉しさと緊張感でいっぱいになりながら、ついに当日を迎えました。

 

会場に着くと、先輩に案内されブースに入りました。一畳ほどのガラス張りの箱のなかに椅子が二脚、机の上にはマイクとヘッドセット。ガラス越しの大きな円卓は、世界各国の国旗で色とりどりに飾られていました。全てがきらきらと輝いて見えました。

 

午前中は研修の概要や連絡事項など、事務的な内容が中心だったため事なきを得ました。「案外できるかもしれない!」と調子に乗るのも束の間、午後からは本格的な講義に入り、洪水のように押し寄せてくる専門用語に四苦八苦しました。言葉に詰まるたびに、絶妙なタイミングでメモを出してくれる先輩には、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

あれからちょうど2年。同じブースで何度も何度も冷や汗をかき、機材の扱いに手こずり、幾度となく助け舟を出してもらいました。ブースから見える景色は、大分現実的なものに変わったけれど、あの日の感動と嬉しさは大切な思い出です。いつの日か、先輩が私にしてくれたように後輩をしっかりとフォローできるよう、努力する毎日です。

 

サイマル・アカデミー英語通訳者養成コース講師
今井温子

上智大学外国語学部フランス語学科卒。イギリスの新聞社の日本支社で語学スタッフを務める。帰国後はサイマル・アカデミーに通いながら、数社で社内通訳を経験。2008年よりサイマル・インターナショナル専属通訳者に。

私の仕事デビューVol.8 駆け出しの頃

  • 2010.02.24 Wednesday
  • 13:36
 By神崎龍志

1992年、あるエンジニアリング会社のエチレンプラント建設の基本設計会議のため、2週間という長期の逐次通訳の仕事を頼まれました。

 その頃は、日本が中国へ盛んに石油化学プラントの輸出をしており、中国の設計担当者や技術者などが頻繁に日本を訪れ、会議や研修がおこなわれていたのです。

 “怖いもの知らず”とはよく言ったもので、サイマル・アカデミーのワークショップクラスを修了しただけで、本格的な仕事をしたこともないのに、自信だけはありました。いよいよ仕事ができる喜びに胸躍らせながら乗り込んでいったのです。

 しかし、根拠のない自信は、いとも簡単に打ち砕かれてしまいました。なんと当時の私はプラント、プロセス、ポンプといった最も基本的な単語の中国語訳さえ知らなかったのです。

 初日はショックで打ちのめされ、帰宅してからも訳語のわからない単語を片端から調べました。当時はまだ電子辞書はおろかパソコンもなく、何冊もの紙の辞書と首っ引きでした。翌日は辞書をカバンにぎゅうぎゅう詰めにして出勤し、休み時間も使って単語を調べました。ただし、現場で使われる単語は必ずしも辞書に載っているわけではないので、調べがつかない単語は中国側の担当者に質問し、訳語を単語帳に書き貯めていきました。それを繰り返すうちに、頻出する単語はすんなりと訳せるようになり、2週間の仕事をどうにか乗り切ることができました。

 新人だからと、現場の方々も温かい目で見守ってくださったのだと思いますが、通訳料をいただきながら勉強させてもらったようなものですから、いまでも本当にありがたく思っています。

 あれから18年、様々な現場を経験してきましたが、いまでも仕事を受けるたびに知らないこと、わからないことに出くわします。それをひとつひとつ調べていくという、基本的なスタンスは昔となんら変わりません。常に新しいことを学べるということが、通訳という仕事の大きな魅力だと思います。

 
サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

神崎龍志
1976年から4年間、北京に滞在。東京外国語大学中国語学科卒業。

サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コースを修了。

1992年より会議通訳者として活躍中。

私の仕事デビューVol.7

  • 2010.02.19 Friday
  • 12:04

By 大浦千恵

今から15年前、サイマル・アカデミー大阪校のワークショップ(今のセミナー)終了後すぐ、初めて通訳の仕事をいただいた。憧れの通訳者デビューだった。といっても、最初の仕事でアメリカ出張、ある医療機器の会社の営業マンに同行し、通訳する。しかし、長年の夢、ただ嬉しいという思いでいっぱいで迷いや不安は全くなかった。

 通訳者総勢20名。全くの新人は私1人ではなかっただろうか?現地での行程は、最初提携先の会社のあるサンノゼにいったん全員が集まり全体会議、その後別れて全米各地の病院を訪問するというもの。

 サンノゼでの全体会議。大きなホテルの宴会場。張りつめた空気。数名の通訳者が前で交替で通訳をした後いよいよ私の番。アメリカ側の責任者の冒頭挨拶の通訳という重責。ところが、大勢の先輩通訳者をはじめ数十名の前に立った瞬間、頭が真っ白に。スピーチが始まる。メモを取ろうにも全く余裕がない、スピーチは30秒ぐらいだったろうか?メモ取りはおろか、内容もきちんと聞けないまま通訳の番。困った私は「皆様、本日は遠いところをお越しいただきありがとうございます。これから一週間頑張りましょう。」と思いつくまま挨拶らしい言葉を並べてみた。その通訳わずか5秒。すると、”Oh, didn’t I talk a little more?”とすかさず突っ込み。その場はどっと笑いに包まれ、私も一緒に笑って難を逃れることができた。今でもきちんと訳せず悪かったという思いと、ユーモアで救いの手を差し伸べてくれたことに感謝している。今でも忘れない若き日の仕事デビューである。

 通訳者は様々な要素を兼ね備えて初めて一人前になれると思うが、人前でも動じない度胸はそのうちの大切な一つ。しかし、心配ご無用、一番のトレーニングは現場に出ること。

人前に立って仕事をすることが通訳の醍醐味の一つと感じる日があなたにもきっとやってくるだろう。

サイマル・アカデミー通訳者養成コース 講師
大浦千恵

神戸大学教育学部卒。通訳キャリア15年、講師歴10年。国際会議、経営会議、国際セミナーなど、幅広い分野で活躍する会議通訳者。

私の仕事デビューVol.6 思い出

  • 2009.09.01 Tuesday
  • 12:18
 By 佐藤あけみ

通訳の仕事を通して数え切れないほど、多くの人と出会い交流できたことは、私の宝物となっていますが、思い出深い出会いの一つは、中国訪日市長団一行を京都に案内した時のことでした。メンバーは市長ばかりだということで、緊張しながらも、「人事を尽くして天命を待つ(尽人事以聴天命)」という気持ちで、準備に多くの時間をかけました。何を聞かれても答えられるように、大阪や京都のことを入念に調べました。

朝、専用マイクロバスでホテルを出発してから、早速マイクを握って話を始めようとしたところ、半分以上の方はうたた寝を始めました。「どうしよう・・・」、しゃべっていいかどうかは分からず、しばらく判断に迷いました。が、何もしないと仕事をすることにならないと考え、予定通りいろいろ解説をすることにしました。

ところが、金閣寺に到着後、バスの中でずっと寝ていた一人の市長は、突然私をつかまえて、バスの中で私が紹介したことについて、質問してきました。寝ていて何も聞いていないと思っていたのに・・・、驚きながらちゃんと紹介しておいてよかったと胸を撫で下ろしました。

京都を回っているうちに、みなさんとすっかり仲良くなって、いろいろな話に花が咲きました。「佐藤さんのお蔭で、今天過得太愉快了!中国に来た時に迎えに行くから、必ず連絡ください」と、別れ際に、みなさんがそう言ってくれた時に、嬉しくて目頭が熱くなりました。始めは気が難しい偉い人たちだと思って少し敬遠していたのに、こんなにも打ち解けられるようになったなんて・・・。それは、私の通訳という仕事をする原動力になっているとともに、忘れられない思い出の一つとなりました。

 

サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

佐藤あけみ 

中国で生まれ育ち、22歳で帰国。19年前に通訳案内業免許を取得して以来、フリーランスとして通訳業に従事。現在、中国語通訳・講師業の傍ら、大学院博士前期課程で外国語教育学を研究中。

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