仏仏辞典を引くのが良いと知ってはいるけれど...

  • 2016.05.09 Monday
  • 11:33
今回は、フランス語通訳者養成コース講師 小林新樹先生によるブログです楽しい
 

仏語が外国語である以上、日本語のような実体感や透明感は無いわけで、単語の仏語による説明はかえって混乱を招くように感じられるかも知れません。それでも引いてみようという意欲が湧くように、具体例を三つ選んでみました。

1)visage
1) Partie antérieure de la tête de l'homme.
2) (Par ext.) Expression du visage.
3) (Par ext.) La personne (considérée dans son visage).
4) (Fig.) Aspect particulier et reconnaissable (de qqch.).

1)〜3)は全て人間の顔が対象で、4)は比喩的用法です。
『小学館ロベール 仏和大辞典』にはこの4つに対応する語義が示してありますが、この語が人間の顔に限られるという注意がありません。日本語では、犬、猫、牛、馬などについても顔と呼ぶことを意識しなかったのでしょう。


2)émotion
Etat de conscience complexe, généralement brusque et momentané, accompagné de troubles physiologiques (pâleur ou rougissement, accélération du pouls, palpitations, sensation de malaise, tremblements, incapacité de bouger ou agitation).

『仏和大辞典』の語義の内、「感動、感激、動揺、興奮」に当りますが、胸がドキドキしたり顔が赤らんだりなど、生理学的反応を伴う意識の状態を指します。但しsens affaibliもあります。


3)formel
1) Dont la précision et la netteté excluent toute méprise, toute équivoque.
(Par ext.) Qui énonce qqch. d'une manière formelle.
2) Qui concerne uniquement la forme. Qui considère la forme, l'apparence plus que la matière, le contenu.

この二つ以外は、哲学、論理・数学、法律上の語義です。
「形式」という日本語が作り出された当初は、formelを「形式的」と訳してピッタリだったのかも知れません。しかし現在では「形式的」が余りに「表面的で無内容」というニュアンスに傾いているため、formelを単に「形式的」と捉えているとズレが生じます。特に 2)は、「(価値判断とは無関係に)形に関わる」と受け止めた方が、誤解の余地が少ないでしょう。

実は不肖小林のホームページに、更にdiscours, ombre, scandale, tentationなどの例と、理論的側面が説明してあります。他にも仏語学習のアイデア満載... という程でもないけど。


小林新樹
サイマル・アカデミー フランス語コース講師
理系修士課程卒。教養課程で第二外国語に選んだ仏語に強く惹かれ、某大学在職中に念願のフランス留学を果した際には、本職よりも仏語学習に没頭。遂に不惑の年を以て通訳への転身を決意し、改めてパリ第三大学に留学。帰国後、逐次・同時通訳として活躍。

旗 サイマル・アカデミーフランス語コースについて

通訳者にも翻訳の訓練が、翻訳家にも通訳の訓練が必要であること

  • 2015.02.25 Wednesday
  • 19:40
4月コースの開講に先立ちまして、フランス語コース主任講師の三浦信孝先生から特別メッセージが届きました四葉のクローバー
4月コースから通訳者養成コースだけでなく、翻訳コースも担当されることになった三浦先生。
タイトルの「通訳者にも翻訳の訓練が、翻訳家にも通訳の訓練が必要であること」とは一体どういう意味なのでしょうか?
 

よく聞かれる質問ですが、翻訳と通訳はどこが違うでしょうか。フランス語ではどちらもtraductionと言いますが、違いを明確にするため翻訳はtraduction écrite、通訳は traduction oraleと言いますから、翻訳は目で読む書き言葉から別の書き言葉に、通訳は耳で聞く話し言葉から別の話し言葉に移しかえる作業です。翻訳は辞書を引き時間をかけて推敲できますが、通訳はまったなしで、辞書を引いているゆとりなどない即決勝負です。

通訳はひと頃までsecrétariatにならってinterprétariatと呼ばれていましたが、職業として確立されるにつれinterprétationと呼ぶようになりました。通訳には逐次と同時がありますが、逐次はtraduction consécutive、同時はtraduction simultanée(またはinterprétation consécutive/simultanée)と言って区別します。同時のほうが逐次よりむずかしいと思われがちですが、逐次のほうが正確さとスピードが求められ、通訳者が人前に姿をさらしますから緊張します。

翻訳家と通訳者は本来どちらもtraducteurですが、通訳者はinterprèteとして区別するのが普通です。ただしinterprèteには、テキストの解釈者や音楽の演奏家、演劇や映画で役を演じる俳優の意味もあります。そこでプロの会議通訳者はinterprète de conférence/conference interpreter と名刺に刷り込みます。

仏語圏の通訳者養成学校ではパリのESIT- Ecole supérieure  d’interprètes et de traducteursとジュネーヴ大学のETI – Ecole de traduction et d’interprétationが有名です。前者は大学卒の学士号が必要で修士の2年コースなのに対し、後者は高校卒で入学できますが5年コースです。ESITには言語コンビネーションに日本語が入っていますが、ETIには日本語がありませんから、私は日本人の通訳志望者にはESITをすすめます。ESITの入学試験では仏→日と日→仏のほか、英→日の問題が出されますから、英語が必要です。

ここで強調したいのは、パリのESITの創立者ダニカ・セレスコヴィッチの通訳理論がthéorie interprétative de la traduction「翻訳の解釈的理論」と名づけられているように、翻訳とはソース言語 (langue source) で伝えられたメッセージを解釈して取り出し、理解した意味をオリジナルとは異なるターゲット言語(langue cible)で再現するプロセスであり、このプロセスは通訳の場合もまったく変らないことです。ESITでは入学時から通訳コースと翻訳コースに別れていますが、ジュネーヴのETIではまず翻訳の勉強をみっちりやってから通訳コースか翻訳コースを選ぶようになっており、このカリキュラム設計は、通訳志望者にも翻訳の勉強が基礎的訓練として欠かせないことを示しています。

しかし私がつけ加えたいのは、翻訳志望者にも通訳の訓練が役に立つことです。

私たち通訳者は、重要な演説や講演で他の方が翻訳した原稿をブースで読み上げることがあります。しかし通訳のなんたるかを知らない方が翻訳した原稿は、後ろから尻上がりに訳すなど語順がオリジナルの語順に従っておらず、また消化/消火/昇華/唱歌/商科など日本語には同音異義語が多いため耳で聞いてわかりにくい表現が使われていて、そのままでは使えないことがあります。contresensと言いますが原文の意味が正しく理解できていない場合は、日本語として意味をなさない訳文になってしまいます。また翻訳は原文に忠実であろうとするあまり言葉数が多くなり、そのまま読み上げると聴衆には早すぎて理解できないことがあります。講師が原稿を読み上げる場合は、原稿なしで自由に話す場合よりもどうしても早くなりますから、同時通訳はメッセージを圧縮気味に伝えないとオリジナルについていけません。

したがって、通訳用に講演原稿を翻訳する場合は、原文の語順にできるだけ忠実に、耳で聞いてわかりやすい表現を選び、メッセージを圧縮気味に翻訳する必要があります。逐次通訳の原則はスピーカーが1分話したら通訳も1分以内に収めることですが、実際に計ってみると1分半から2分かかることが多いのです。同時通訳の場合は、スピーカーは通訳を待ってくれませんから、通訳がもたもたすれば、通訳されない部分はおいてきぼりになったままスピーチは先に進んでしまいます。通訳では、いかにスピーカーの言いたいこと(vouloir dire)を理解し、それを別の言語で伝えるかが鍵になります。しかし、このことは翻訳でもまったく同じです。翻訳では、原文の意味や論理が十分理解できなくても、辞書を引いて一対一対応 (word to word)に訳せば、翻訳できたことになってしまいます。しかし日本語として意味が通らないパッセージを原文と対照してみると、原文が正しく理解できていない翻訳がほとんどです。

極端な言い方をすれば、通訳では自分が理解できないことは通訳できないのに対し、翻訳では自分が理解できないことでもとりあえず翻訳できてしまう。これが「翻訳の解釈的理論」のコロラリー*です。ソース言語が伝える意味(sens)を理解し、その意味をソース言語の服を脱がせ、ターゲット言語の別の服に着せかえて提示する。ソース言語の服を脱がせると言いましたが、キーワードやテクニカルタームの訳語はあらかじめ調べて対照表をつくっておく必要があります。ルソーの政治哲学に関する講演の通訳でvolonté généraleが人民の「一般意思」というキーワードであることを知らず、欧州統合に関する議論の通訳でprincipe de subsidiarité がブラッセル主導の中央集権に対立する「補完性原理」であることを知らなければ、翻訳も通訳も的外れになってしまいます。
*コロラリー:
必然的帰結

ダニカ・セレスコヴィッチの通訳理論でもうひとつ私の印象に残っているのは、通訳でいちばんむずかしいのはdiscours fleuri、すなわちひとつのメッセージを伝えるのに多彩な表現を駆使して引き延ばす巧みなスピーチだとしていることです。このワインはおいしい、というだけのメッセージをあれこれ尾ひれをつけてレトリカルに**表現したスピーチをどう通訳するか。ソース言語が伝える意味を抽出してターゲット言語に移し替えるといっても、ターゲット言語が母語でなく、その言語的豊かさを十分使いこなせない場合は、同じことの繰り返しになっていい通訳にはなりません。セレスコヴィッチが通訳は通訳者の母語方向に行うのを原則とするとしているのは、まったくうなずけます。
**レトリカルに:
美辞麗句を使って

私は昔パリに留学していたとき三島由紀夫の『サド公爵夫人』を仏訳したことがありますが、作家のピエール・ド・マンディアルグがそれをものの見事なフランス語に転換するのをみて絶望しました。翻訳、とくに文学作品の翻訳は、自分の母語への方向でなければ無理です。同じことは通訳についても言えます。東日本大震災の翌年の2012年3月にパリのサロン・ド・リーブルで、私は 敬愛する鎌田慧の脱原発論の通訳を買って出たのですが、同じとき大江健三郎のトークを日仏バイリンガルのアンヌ・バイヤール坂井が通訳するのを聞いて、恥ずかしく思いました。

われわれ日本人の日仏通訳者はどうしてもフランス語方向に通訳する場合が出てきます。恥ずかしくないフランス語に通訳するには、たえず 規矩 きく 正しいフランス語に接して使えるフランス語表現のストックを豊かにすることと、自分が書いたフランス語を教養あるフランス語ネイティヴに直してもらうことが必要です。

2015年4月期から私は通訳コースのみならず翻訳クラスも担当することになりました。翻訳クラスはフランス人講師と日本人講師が交互に授業して、日→仏の翻訳と仏→日の翻訳の両方を練習します。仏→日の翻訳では正確で日本語として読みやすい翻訳を、日→仏の翻訳ではフランス語らしいフランス語への翻訳を心がけます。
宿題は全部添削して返しますから、とくにフランス語ネイティヴの先生にどこをどう直されたかに注意すれば、とてもいい勉強になるはずです。

最後に、いい翻訳は声に出して読んでみると気持ちよく読めます。翻訳は書き言葉から書き言葉への移し替えと言いましたが、オラール(音声)に乗せてチェックするといい翻訳になる。これが通訳者から翻訳志望者に送る実践的アドバイスです。

三浦信孝/サイマル・アカデミー フランス語コース主任講師
プロフィール
フランス語コース主任。東京大学卒業、パリ大学留学。現在は中央大学名誉教授、日仏会館常務理事。1970年代にパリで通訳を始め、帰国後は大学で教鞭をとるかたわら会議通訳者として活躍。政治・経済から文学・思想まで守備範囲は広い。著編著に『多言語主義とは何か』『現代フランスを読む』『日仏翻訳交流の過去と未来』など。

旗 サイマル・アカデミーフランス語コースについて
旗 フランス語コース体験レッスン予約受付中!
旗 フランス語コース講師メッセージはこちら

Traduttore - Creatore!

  • 2012.01.18 Wednesday
  • 10:21
BY Rodolphe Diot

Il n’y a rien d’excessif à affirmer que l’imagination constitue une qualité indispensable au travail de traduction. D’abord, chaque langue possède des exigences spécifiques. Prenez le problème de la répétition en français. Face à un texte japonais dans lequel le substantif 「日本」 apparaît une demi-douzaine de fois en quelques lignes, on ne peut recourir mécaniquement au terme « Japon » sans alourdir le style. Plusieurs solutions s’offrent alors à la personne qui traduit : en fonction du contexte et de la syntaxe, elle peut opter pour d’autres noms (« ce pays », « l’Archipel », « les Japonais », « la société nipponne », etc.), pour des pronoms (« il », « celui-ci », « le », « y »...), ou encore omettre volontairement de transcrire le mot lorsque son absence ne nuit pas à la compréhension d’ensemble. Éviter au mieux le mot à mot devient ainsi une sorte de jeu.
Mais que faire lorsque la littéralité s’avère incontournable? Dans mon domaine de recherche, autre « art subtil de l’écriture », j’ai maille à partir avec un vocabulaire inconnu des langues occidentales. Comment en effet rendre en français les nuances qui distinguent「書」,「書道」ou encore「習字」? Là, force est de créer une néologie, par exemple à partir de racines grecques ou latines. Autre travail d’imagination.
L’inventivité a pourtant ses limites, et il faut parfois savoir s’avouer vaincu. Voyez plutôt ce poème de Prévert:
Il pleut Il pleut
Il fait beau
Il fait du soleil
Il est tôt
Il se fait tard
Il
Il
Il
toujours Il
Toujours Il qui pleut et qui neige
Toujours Il qui fait du soleil
Toujours Il
Pourquoi pas Elle
Jamais Elle
Pourtant Elle aussi
souvent se fait belle!
 


プロフィール
サイマル・アカデミー フランス語翻訳コース入門科講師
Diplômé d’études japonaises, chinoises et coréennes de L’Institut National des Langues et Civilisations Orientales (INALCO) de Paris.
Ancien boursier du gouvernement japonais à l’université de Tsukuba (1990-91) et à l’université de Hirosaki (1994-95).
Domaine de recherche : histoire de l’enseignement de la calligraphie.
Professeur titulaire de français à l’Université Ochanomizu depuis 1998

翻訳とは、つまるところ「転失気」?

  • 2010.11.15 Monday
  • 13:46

BY 菅野賢治


和尚:ああ、珍念か。すまないが、爐討鵑靴瓩鮟个靴討くれ

珍念:てん・・・しき? 爐討鵑靴瓩辰董∀他依諭何ですか?

和尚:爐討鵑靴瓩・・・爐討鵑靴瓩犬

珍念:どんなものです?

和尚:お前は爐討鵑靴瓩鯔困譴燭里? お前、歳はいくつになりました? 十三!? 
    十三にもなって、なぜ爐討鵑靴瓩鯔困譴襦 そんなことではいかん。修行がままなら
        ぬぞ!

珍念:へへっ! 申し訳ございません・・・ で、和尚様、爐討鵑靴瓩辰堂燭任垢?

和尚:わたしは教えてやらん。「忘れたら和尚に聞けば済む」と、心に油断があるぞよ。 お向
        かいの雑貨屋か花屋へ行って、「爐討鵑靴瓩呂瓦兇い泙垢」と尋ねて来なさい・・・

 

 ご存じ、落語の名作「転失気」のひとくだり。ここで、珍念=読者、和尚=翻訳者、てんしき=原文テクスト、と措いてみると、いろいろ思い当たるフシがある。

 まずもって(決して人のことを言えた義理ではないのだが)、世の中、爐討鵑靴畆阿遼殘がいかに多く出回っているか、ということ。読む側では、「何か、よほど御大層なことが述べられているようだが、これって一体何なのだろう?」と思い、また、そう思うだけで、すでに畏れ多くも有り難く、少なくとも何かには触れたような気がして、それで済ませてしまう。「だから爐討鵑靴瓩辰動貘硫燭覆里機」と、原文にまで遡って突き詰め、その「おなら」「屁」という真意に到達する人はほぼ皆無。そもそも、原文まで遡及することができる人には端から翻訳など必要なかったという、この逆説。

 次に翻訳が、一種、文化の「標高差」幻想に立脚した作業であるということ。厳密な統計資料を見たわけではないが、英・独・仏語から日本語への翻訳物と、日本語から英・独・仏語への翻訳物の量的関係は、おそらく月とスッポンであろう(ある時期までは、その「月」が漢語であり、次にそれがポルトガル語とオランダ語になった時期もあったわけだ)。「これを訳さなくてはならない」という力学は、まずもって高度、高尚、先進的と(たとえ共同幻想上にすぎずとも)みなされた文化圏Aから、その受容、模倣、ひいてはそれへの完全な追随さえをも志向する文化圏Bに向かって働くものである、ということだ。落語「転失気」の場合も、和尚の主治医が、「和尚なら、このくらいの用語は知っているだろう」と踏んでハイレベルの専門用語を用いたところが笑い話の発端であって、爐討鵑靴瓩単に和尚には馴染みの薄い方言や俗語であったとしたら、この可笑しさは成り立たない。


 翻訳者は、扱うテクストの原著者でない限りにおいて、常にこの和尚のような立場に置かれる。無知、誤解、調査不足、いかんともしがたい。ただ、ヴァーチャルな読者から差し向けられる「これはどういう意味?」という視線に対し、「もちろん、わたしは分かっているが教えてやらん。『分からなかったら翻訳者に聞けば済む』と、心に油断があるぞよ。その筋の専門家か、別の翻訳書に当たって調べて来なさい」とでもいうかのごとき、欧米語、欧米文化の「高尚さ」幻想を笠に着た高慢ちき、見栄っ張り、滑稽な「知ったかぶり」だけは避けたいと思う。

 

プロフィール

菅野賢治 サイマル・アカデミー フランス語コース講師

19901994年、パリ第10(ナンテール)大学で近現代文学を専攻。
一橋大学法学部、東京都立大学人文学部を経て、現在、東京理科大学理工学部教授。
著書に『ドレフュス事件のなかの科学』、訳書にジョルジュ・ミノワ『未来の歴史』、レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』、ヤコヴ・ラブキン『トーラーの名において』など。旺文社『プチ・ロワイヤル和仏辞典』第3版の編集にもたずさわる。

 

 

渡る世間は恩人ばかり

  • 2009.06.30 Tuesday
  • 10:16
  翻訳には何がいるだろう。テキストに使用される言語についての知識(文法、語彙)が必要なことは言うまでもない。だがその知識は決して完全ではない。それどころか新しい翻訳のたびに自分の知識がいかにいいかげんかを思い知らされる。ただ翻訳に携わろうというのだから、これについては、何とか各種の辞書、参考書を駆使して対処する。しかしそれでもまだ足りない。書かれている内容についての知識がある程度ありテキストをきちんと理解できるのでなければ、読者に理解してもらえるよう翻訳できるはずがない。だが言語についての知識の不足もさることながら、テキストの内容についての己の知識の頼りなさとなると、大概の場合において翻訳者が呆然とならざるを得ないものである。 

さてその場合どうするのだろう。私の経験では、もっとも大切なのは友人である。幸いなことに、これまでタイプの異なるいくつかの大学に勤務してきたおかげで、多くの分野にまたがる、そしていずれも優秀な多くの友人・同僚に恵まれてきた。翻訳書が一冊仕上がるごとに、誤りを多々含んだ本を出してしまったのではないかと脅えると同時に、その本を翻訳する過程で多くを教えてくれた友人たちに対する感謝で心が満たされる。恩人ばかりがあちらこちらにいる。恩恵ばかりいただいて申し訳ないと思うのだが、そうした恩人に恵まれているのは幸いなことである。翻訳を志す方には、交友関係を広く耕しておくことをぜひともお勧めしたい。ただしそのためには、相手のために何かができる自分を養うこと、少なくともそのように心がけることが大事なことは言うまでもない。

 

プロフィール

小野潮 サイマル・アカデミー フランス語翻訳入門科講師

東北大学文学部卒業、東北大学大学院文学研究科博士課程後期退学。石巻専修大学、北海道大学勤務を経て、現在中央大学文学部教授。専門は19世紀フランス文学で主な研究対象はスタンダール、シャトーブリアン。リュック・フェリー、アラン・ルノー、ツヴェタン・トドロフ、ジャン・ドリュモーなどの翻訳を手がける。2009年度はNHKラジオ「まいにちフランス語」講師も務めている。

フランス語が書けないフランス社会党...

  • 2009.02.24 Tuesday
  • 11:33
 By彌永康夫

日本では首相の「国語力」に疑問がついたが、フランスでは野党第一党である社会党の新指導部が昨年12月に発表した党運営方針に文法的な誤りがあると指摘されている。11月の党首選で僅差で敗退したセゴレーヌ・ロワイヤルの側近であるヴァンサン・ペイヨンVincent Peillonが、いささかやけ気味に、「党の知的退歩régression intellectuelle」と非難したので調べてみると、たしかに同文書の1ページ目だけで少なくとも2か所のfautes grammaticalesが見つかった(“ils nous ont adressés deux messages forts”“la feuille de route des instances du Parti Socialiste dans les années qui vienne”)。

 

 このペイヨンの指摘に対して、『ル・モンド』のロベール・ソレRobert Solé記者は、正しいフランス語を書けないのは国民全体にかかわる問題だと指摘したうえで、「これで社会党がフランス社会の現状を映し出している党であることが証明された」と皮肉をまじえて論評し、さらに、「今や有権者は、左派を支持するにしろ、あるいは保守、中道を支持するにしろ、スペルチェッカーを用いずに一行とて誤りのない文章を書けない」と付け加えている。

 

 フランスにおける「国語力」の低下については、ごく最近では215日のFrance 2ニュースでも取り上げられていたように、しばしば警鐘が鳴らされて来た。とくに200746日付『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌が「非識字の大問題Scandale de l’illettrisme」と題する特集を出しているが、その中で大学文学部1年生を対象に単語の意味を問うテストの結果を紹介する記事から、「傑作」としか言いようのない例を二つだけ紹介しよう。“homicide : meurtre à domicile”, “sporadique : drogué du sport”

 

 こうした国語力の低下の原因として、日本ではよく、必ずしも根拠を明らかにしないままに「漫画の読みすぎ」があげられるのに対して、フランスでは携帯メール(SMSという)がしばしば犯人扱いされている。

 

上にあげた間違いの解説をしておこう。

 

 社会党の文書について。“ils nous …”では、“adressés”“s”が不要。これは複合過去形において、目的語が動詞の前に置かれる場合の、過去分詞の一致にかかわる典型的な問題だが、ここでの目的語“nous”は間接補語なので性、数の一致はない。次の“la feuille …”では“dans les années qui vienne” “vienne”が動詞venirの接続法3人称単数になっているが、正しくは直接法3人称複数“viennent”でなければならない(発音だけをみるとどちらの綴りも同じ)。なお、この二つのスペルミスは通常のスペルチェッカーではチェックされない

 

 単語の意味問題は2例とも、日常用語に英語が奇妙な影響を及ぼしていることを示している。“homicide : meurtre à domicile”は「殺人」とすべきところを「自宅殺人」としている。すなわち“homicide”“homo” (ひと)と“cide”(殺し)に分解すべきところを、英語の“home”“cide”と解釈したのである。次は、“sporadique”(散発的な、散在性の。語源はギリシャ語sporadikos)を“sport” (フランス語では最後のtは発音しない)と“addiction”(“adique”はその省略形と考える)に分解して解釈して、「スポーツ中毒」と答えている。“addiction”は最近は非常によく用いられるが、もともとは英語の言葉で、1990年代前半までのフランスの辞書には出てこない単語である。

 

 

プロフィール

彌永康夫 サイマル・アカデミー フランス語コース講師

1962-1964年パリ高等学術研究院で社会学・現代史を学ぶ。1965-2000年在日フランス大使館広報部勤務。多くの要人の来日に際して通訳、翻訳を担当。共著に『事典・現代のフランス』(大修館)、『普遍性か差異か 共和主義の臨界、フランス』(藤原書店)、Le Japon 1995 (Editions Recherche sur les civilisations Maison franco-japonaise)など。

同時通訳は脳の超分割利用? 

  • 2008.10.28 Tuesday
  • 11:59

By宇都宮彰子

 「同時通訳」とは、言うまでもなく「原発言の進行とほぼ同時に訳す通訳」のことですが、私の頭の中では「同時に沢山のことをしなければならない忙しい通訳」という意味になっています。耳と口だけでなく、目もフル回転。複数の資料、会場のスクリーン、話者の表情、パートナーが差し出してくれるメモなどなど、見たいものが山ほどあり、いつ何を見るべきか、心が千々に乱れるほど。耳も、片耳で原発言やリレーを聞きつつ、もう片方の耳で自分の訳出をチェックするので、片耳ずつ異なる言語を聞いている有様。資料が英語の時など、目と右耳と左耳から別々な言語が入ってくる。他に、メモ取り、機械操作、行方不明の資料の捜索やら何やらあって、その間、肝心の通訳が途切れては、もちろん、いけない。そんなこんなをまとめる役のあわれな脳ミソは、一体どんな状態なのだろう、と、ふと思うことがあります。

 

 ある時、齋藤孝氏が、著書『速読塾』(筑摩書房)の中で、「速音読」を勧めているのを読みました。曰く、「『速音読』は、見て、話して、聞いて、理解するという、様々な脳の機能を使います。これによって、脳を分割利用し、脳を活性化させます。」なるほど!それなら、同時通訳は、脳の超(過剰?)分割利用と超(過剰?)活性化だわ…。そういえば、パリの通訳学校時代、「脳みそを取り出して、さいころ状に切り刻み、パーツの位置をバラバラに入れ替えた後に、また頭の中に戻されたような気がする」と言ってウツウツしていたドイツ人学生がいました。その時は、随分と大げさなことを言うもんだと思っただけでしたが、今にして考えると、その学生は、大変鋭い感覚の持ち主だったのかもしれません。

 

 事程左様に、同時通訳は、結構ヘンテコな頭の使い方をする作業ではないかと疑われるのですが、同業の皆様は、どのようにお感じでありましょうか。だとしたら、ヘンテコぶりが、普段の言動に影響したりしないだろうか…? なんていうことは、考えないでおくことにしよう…。

 

プロフィール

宇都宮彰子 サイマル・アカデミー フランス語コース講師

サイマル・アカデミーのフランス語コースで学んだ後、パリ第3大学・通訳翻訳高等学院 (ESIT) に留学。卒業後、パリを拠点に通訳業に従事。2005年より国際会議通訳者協会 (AIIC) 会員。現在は、東京で仏語通訳者として活動する傍ら、上智大学で非常勤講師を勤める。

通訳の声をめぐる冒険

  • 2008.09.30 Tuesday
  • 10:32
By カトリーヌ・アンスロー
通訳を一つの生業として考えてみると、その経営資源は大変脆弱なものに思われる。よく言えば浅く広く、客観的にみると、帯に短し襷に長しといった知識、素人よりは多少ある語学力、またさまざまな状況を速やかに読み取る柔軟さと、いざとなると火事場の馬鹿力で修羅場をしのげる体力というぐらいだろうか。ところで注目に値しながら案外忘れられがちなのは通訳の声なのだと、数々のアクシデントの経歴を持っている私は請け合うことが出来る。声量があり、無理なくその場にいる当事者全員にきちんと聞こえる通訳は理想であろうが、物理的条件は果たしてそれを許すのか。暖房がサウナ並みに利かしてある会場、冷房で体の芯まで冷える部屋、喉を潤すどころではないあわただしい表敬訪問、がやがやした夕食会で幅広いテーブルの向こうに座っているおえら方に聞こえるように数時間にわたりがなりたてる場面等々、貴重な経営資源である声を酷使する機会があまりにも多い。新米の頃、緊張も手伝ってしょっちゅう声を完全に嗄らしてしまった。うぶでまだ仕事に対する意欲に燃えていた私にとって降板せざるを得ないという経験は心理的なダッメージが大きいものであった。降板したあとは、しばらく悔しさを噛みしめて薬を飲みのみ声が戻ってくるのをひたすら待つ。熱があるわけでなし、喉頭や声帯に大きな異常があるわけでなし、病院では通り一遍の治療しか施してもらえない。「安静にして、声をなるべく使わないで。お大事に」と帰されると、落胆が絶望に変わる。無論おとなしく運命を受けいれるほど人格ができていない。「響声笛破」という漢方製剤を飲んでみたり、熱湯にフランスの吸入薬を溶かしてその蒸気を吸ったり、薬局に並べてあるすべての市販薬を順番に試したり、考えられる手を尽くしても即効性があるものはない。厳しいボイス・トレーナーのレッスンも受け、日本とフランスの専門病院にもかかったし、出張には生姜、はちみつ、おろし金、お湯のポットを持参し、国際会議場の手洗いで生姜ドリンクをこしらえたことさえある。ところがいくら注意しても声にはその時その時の限界値があり、それを超えたらおしまい。心と体のコンディションに影響を受けやすい声は通訳にとりかけがえのない仕事の大切なツールであると、通訳の卵にもベテランにも是非気にとめてほしいと思う昨今である。

プロフィール
カトリーヌ・アンスロー サイマル・アカデミー フランス語コース講師
パリ第三大学国立東洋言語文化研究所日本語学科卒業後、東京外国語大学に国費留学。現在は、日本を中心に会議通訳者として活躍中。講談社野間文芸翻訳賞受賞。

Graal de l’interprétation

  • 2008.02.26 Tuesday
  • 12:35
By 小林新樹
通訳の仕事には専門用語がつきものだが、その整理に関しては私のホームページに解説を載せたので、そちらを見て頂きたい。ここではもう少し一般的な単語で、文脈次第で臨機応変に訳さなければならない例を取り上げる。言い換えれば、日仏両語の間で、現実の切り取り方が異る例ということになる。
 1) industriel:仏和辞書では普通「産業、工業」といった系統の語義が当ててあり、実際 les industriels がいわゆる「産業界」を指していることもある。しかし通訳の場で「産業云々」と訳すべきケースはむしろ少なく、
secteur industriel 製造業
implantation industrielle (外国への) 工場進出
friche industrielle 工場跡地
といった具合に、「製造業、工場」の方から攻めた方が良い場合が多い。また映像コンテンツの制作側に対して、テレビやDVD録画機等の「メーカー側」を指すのに les industriels が使われる。
 これでもう industriel には対処できるかと思うと、さにあらず。2002年12月に Crédit Agricole が当時の Crédit Lyonnais に友好的TOBを提案した際の新聞記事に、projet industriel なる表現が使われている。「単にバランスシートをつなぎ合わせるだけの projet financier ではなく、事業部門の統合から店舗の統廃合にも踏み込む」という趣旨かと思われるが、一言でどう訳せば良いのか未だに解決できず、お恥ずかしい限りだ。

 2) jeu:仏仏辞典で見ても語義の広い単語であって、文脈に合う訳語を見付けるのが実に難しい。まだほんの駆け出しの頃、三浦信孝氏がテレビでフランス人建築家に対するインタビューの同時通訳をしているのを聞いたことがあるが、話がデベロッパーやゼネコン等との関係に及んだ時、les jeux du capital を「資本の動き」と訳していた。既にjeuには悩まされていたから、同時通訳という状況でこのようにキメた力量に感銘を受けたのを覚えている。

 3) santé:本来は「健康云々」だが、最近は「医療云々」と訳すべき例が多い (système de santé 医療システム、coût de la santé 医療コスト、professionnels de la santé 医療従事者)。実はこの単語には癪な思い出がある。フランスの医療関係者による講演会の後の質疑応答で、聴衆の日本人医師から「市民の健康管理や体力維持にフランスの医療機関はどう関わっているか」という趣旨の質問が出た。これに対して、講演者が余りピンとこない答え方をした後で小声で呟くことに:« j’ai dit “santé”, mais... »。あの時、「(上記括弧内のような表現は)ちゃんと『医療』を使って訳したのにこういう質問が出たのであって、これは日本の医療関係者のスタンスを表わしたものと受け取るべきだ」、と言ってやれば良かった。ああ悔しい!

サイマル・アカデミー フランス語コース講師
小林新樹

プロフィール
理系修士課程卒。教養課程で第二外国語に選んだ仏語に強く惹かれ、某大学在職中に念願のフランス留学を果した際には、本職よりも仏語学習に没頭。遂に不惑の年を以て通訳への転身を決意し、改めてパリ第三大学に留学後、主に経済・技術関係の仕事に携る。

フランス語通訳、たゆたえど沈まず

  • 2007.08.14 Tuesday
  • 09:51
By 三浦信孝
 英語同時通訳の草分け小松達也氏の依頼で、サイマルアカデミーにフランス語通訳者養成コースを開設したのは1990年の秋である。以後フランス語は英語、中国語につづく第三の言語として、細々とではあるがサイマルアカデミーの一角に席を占めてきた。通訳基礎科・本科から始め、フランス語上級、翻訳のコースを設置したが、最近は通訳をめざしてサイマルに来る優秀な若手が少なく、本科は休業状態*にある。講師陣は1980年代から活躍している現役の通訳者たちだが、さすがに高齢化し、若い世代が出てきてくれないと、せっかく開拓してきたフランス語通訳市場も尻すぼみになるのではと心配している。
 しかし振り返ってみると、初期の受講生の中からカミーユ小川さんや延増崇子さんのようにいま第一線で仕事している通訳者が育っている。延増さんは通訳者養成機関として定評のあるパリのESITを卒業し、シラク前大統領の来日時には通訳として同行した。アカデミーの講師陣でいちばん若い宇都宮彰子さんも、サイマルアカデミーからESITに留学して一人前になった例だ。欧米諸国のように英語以外の他言語を含む通訳者養成コースが大学院にない日本では、訓練時間数が少なく割高だがサイマルアカデミーのような学校にもそれなりの存在理由がある。ちなみにフランス政府給費留学生試験には、ESITに留学できる通訳部門があるので、積極的にトライしていただきたい。

(参照:http://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=1663

私がいつも受講生にいうのは、フランス語の通訳市場は大きくはないが確実に存在する。学歴より実力が勝負の世界だから、力さえあれば必ず認められる日がくる。したがって市場に参入できるかどうかは、強いモチベーションと日頃の努力次第である。通訳は包丁一本の料理人と同じ職人仕事だから、頑固一徹な職人気質が必要だ。しかし通訳者の力は、自分を殺して他人の言葉を通訳することにより発揮されるから、地味すぎても目立ちたがりやでもいけない。お客さん商売だから、クライアント、スピーカー、聴衆、あるいは同僚通訳者との関係をスムーズに運ぶ礼儀作法や人間的資質も重要だ。
 最後に、通訳の仕事には何が出てくるかわからない。とっさに反応できるには語学力もさることながら、広い一般教養と常識がなければならない。Secrétaire d’état américainはアメリカの国務長官で、国務長官とは外相にあたることを知らないようでは、フランス語の通訳はおぼつかない。他方フランスのコンテクストでSecrétaire d’étatといえば、副大臣にあたる閣外相のことである。

*通訳者養成コース本科は、2008年4月コース以降開講しております。

サイマル・アカデミー フランス語コース主任講師
三浦信孝

プロフィール
東京大学卒業後、パリ大学留学。現在、中央大学教授。1970年代にパリで通訳を始め、帰国後は大学で教鞭をとるかたわら会議通訳者として活躍。金融、経済から文学・思想まで守備範囲は広い。著編著に「多言語主義とは何か」「言語帝国主義とは何か」「現代フランスを読む」。2010年度NHKラジオ「まいにちフランス語 応用編」の講師を担当。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

サイマルアカデミー ウェブサイト

Facebook更新中!

Facebook_2.jpg

サイマル翻訳ブログ

サイマル・インターナショナル翻訳部が翻訳にまつわる裏話やお役立ち情報を更新中です!ブログはこちらから

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM